西島大介『凹村戦争』(早川書房,¥1365)[bk1][amazon]

西島大介の単行本『凹村戦争』を読んだですよ。
「おうそんせんそう」ね。
「凹村」っちゅう、携帯電話の電波はおろかTVやラジオの電波も届かない僻地の村の上空を、いつのまにやら流星だか謎の飛行物体だかが横切っていくようになる。 さてはなにかの先触れか、世界の危機か。
でも凹村は僻地なのでそんな先触れだの、その先に予測される世界の危機とはほぼなんの関係もなく、村の中学生たちは(ほかになにもすることがないから)青春やったりする。 とか、そういうお話。
西島大介っちゅうと、まずイラストレータ、という認識があって、マンガ描くのはどうなんだろうね? という疑問はあったんだけど、いや、杞憂杞憂。 ぜんぜん面白かった。 スタンダードだけど、今日日の世相どうりに複雑な、最新ヴァージョンの青春物語に見えた。(「見えた」だけであって、じじつ、「である」とはちょっと思えない。 そのフリをして、まったく違ったものを描き出そうとしているのかもしれないよ?)
で、あれだよ。
複雑だよね。
と思ったことだよ。
いやね。 マンガそのものとしては、いたってスタンダードだと思うんだ。 それはOK、ふつうに楽しめる。 作中、たくさん映画からの引用がなされるんだけど、見たくなったよ、映画。 『遊星からの物体X』『エスケープフロムLA』『プリズナーNo6』とかさ。
でもね。 「マンガそのもの」なんて俺は言うけど。 そんな無邪気な(わざと嫌ないいかたをすれば「特権的な」)見方なんて、もう俺たちにできると思う? とか、皮相的なことも云いたくなるじゃないさ?
ぶっちゃけこのマンガ、一言で言おうと思えば言えるじゃないですか。 「セカイ系」だの「サブカル」だの「新しいSF」だのさ。 誰かの言いたいような云い方で。 でも、それって、言われるほうにしてみれば余計なお世話、ちうか、どうでもいいじゃんよ? 基本的に。 や、「云い方なんでどうでもいい」という認識もすでに言うほうに共有されてるんだ。 そんなのみんな知ってるさ。 ただ、それを言うと「通りがいい」んだな。 なにか捕まえた気になれる。 安心する。 だから、言葉としてただ流通する。
その「もののラベリングがただ流通するさま」というのは、状況としてひじょうにうざったくて、うざったいことを承知の上で、あえてラベリングされやすいものを描く、というのは、なんというか、周到で、その在り方、周到さが、「うむ、複雑であるなぁ」と思ったことだ。
あと、先行する/周辺の、諸作品、というか、サンプリングのネタとやり方も込み入っていた。 込み入ったように読んでいるだけかもしれないけどな。 読んでいる間ずっ〜っと、「岡崎京子のマンガみたい」って思ってたよ。 もっと言うと『リバーズエッジ』を読み返している気分になった。
背景/風景の描き方、トーンを使った陰影の付け方、オブジェクト(マンガに登場するすべてのヒト、モノたち)に対するテケトーでキッチュな描線とか、岡崎京子を連想させる絵の近似もあるんだけど、それだけじゃなくて、黒地に白抜きでキめられる詩とか、あとがきとか、ページを開いてみたときの「白」と「黒」の割合とか。 目が感じる印象がまったく一緒で、これが意識的でないわけがない。 これがあれか? サンプリングか?
あとウエダハジメ(『フリクリ』『Qコちゃん』)も連想した。
戦争に対する態度とか、醒め方、とかな。 (西島大介のおうが「温度が高い」とは感じたけど)
うん、複雑であるなぁ、と感じた。
今日日、ラフを演るにはもっとも繊細でなきゃならない。
みたいな、ウィリアム・ギブスンの小説の一節を思い出したよ。
そしてそう、たぶん。
「これって○○だよね」という見方は。
用意されたもっとも単純なトラップに引っかかっているだけだ。
とも思うよ。
ここに描かれているのは、なんなんだろうなぁ。
ここにはなにが「ない」んだろうなぁ。
分類するだけではダメですか。遠いなあ……
主人公くんが「ちがうなー」とか「もっと なんか こう」とか云うのはなんでだと思う?
とか、そんな話っすわ。
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勘違いしてました、すみません。
凹村戦争について書いてみたので、よろしければご覧下さい。