東京ヘッド New Edition
(大塚ギチ、美術出版社、2000円)
足りていないのは血などではない。
足りていないのは血などではない。
足りていないのは血などではない。
だいたいのことは三度も繰り返せば本当になる。
本当に足りていないのは、「血が足りていない」といって馴れ合いふざけ合い曖昧な笑みを浮かべながら間抜けに安心している自分たちの足元をすりぬけて薄汚い下水溝へと消えていく何かだ。などと自分でもわからないままにホラを吹いていたずらに人心を惑わそうとしているのは『東京ヘッド New Edition』(大塚ギチ、美術出版社、2000円)を読んでしまったからだ。
素晴らしい。素晴らしい虚無感。本書は95年に出版された『トウキョウヘッド19931995』の≪リマスター≫版とやらで、元となった『トウキョウヘッド19931995』というのは『ヴァーチャファイター』というセガの生んだ偉大な3Dポリゴン格闘ゲームにまつわるムーブメントやらを「ノンフィクションという形のフィクション」でどうにかその熱を留め、伝えようという(ある意味において)感動的な試みだった。
だが、今はいつ?
もう何年たった? 祭りが終わり、人々がその日常へと帰りもうどれくらいの時間が過ぎようとしている?暦の上からは「たった5年」という答えが返ってくる。
5年という距離を隔てた自分が、今はもう「彼」と呼ぶしかない「5年前の自分」がどういう顔をしていたのか、現在の自分にはもう思い出せない。彼はどこへ行ってしまったのか?
答えは返ってくる。「彼」はおそらく葬られたのだろう。どこかへと。
「彼」は忘れ去られているのではない、だが、頻繁に顧みられることも無い。
忘れ去られているのは、「彼」が埋葬された場所である。
あれは一体どこだっただろうか?本書は美しい死体である。
本書はある真摯な(?)試みが費え、その全てを失った荒野に建てられた美しい墓標である。心ある者はこの墓を訪れるがいい。墓であろうが、なにか得るものはあるはずだ。たとえゲームという行為に興味が無くとも。
だが、忘れてはならない。
いかに美しくとも、その本質には何も無く、言うなれば「虚無」そのものだけが、貴方を待ち構えているのだということを(『虚無』そのものが待ち構えている」のもただのレトリックに過ぎない)。この書物にいくばくかの好感を持てるのは、ぬけがらをぬけがらとして、そのまま無愛想にこちらに放ってくるからだろう。
細切れの意識のまま、語るしかないものもあるのかもしれない。
2000/5/10