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宮部みゆき 『ICO 霧の城』 (講談社,¥1800) [bk1][amazon]

指と指。掌と掌。しっかりと繋ぎあった手と手のあいだに、奔流がながれた。浄く温かく、ああ、この温もりは何かに似ている
宮部みゆき版『ICO』。 宮部みゆき版『ICO』はあくまで宮部みゆき版の『ICO』でしかないので、あなたや俺がかくあれかしと望んだ『ICO』ではない。 ってところが問題といえば問題。 問題というか、あたりまえなんだけど。
一級品であるとは思うけど、己にとってはそれほど価値のない一級品であろう。 そういう感じ。
『ICO』というゲームはとても言葉少ないゲームで、それこそが魅力だった。 語られぬ細部は、城に射す穏やかな日の光や聞こえ来る風の音、潮騒の響き、鳥たちの羽ばたき、走るイコとヨルダの急く息から読み取るべし(それを、あなたが望むならば)という不文律があって、プレイヤーはおのおの、その物語を読み取ったんだと思う。 プレイヤーの心中に、それぞれの物語を形作る力をもったゲームだったんだ、『ICO』は。
(それぞれの『物語』というかそれぞれの『霧の城』というべきかな? 俺は、城の中を走るイコとヨルダの姿を思い浮かべることができるんだけど、それはゲームの画面とイコールではない、ってこと。 わかるかな?)
で、ここに語られる『ICO』はあくまで宮部みゆき版『ICO』でしかなくて、なるほど当代一流の作家の手によるものだから、そういう細部の描き方があるのか! そのような物語を背後に透かし見るものか! と感嘆はできるのだけど、それと自分が読み取った『ICO』の物語とは微妙に/激烈に祖語が生じていて、う〜ん、鑑賞はできるけど感動はできなかったのね。
「光の神」と「闇の神」がいて、そもそもはそやつらのせいなのよ。 って語られて、あ〜そうだったんだ〜って納得はできるだろうけど、第一原因が「神さま」って言われて、現代に生きる俺らができるのは「まま昔はそうだったかもしれないね」って納得だけでしょう。 共感はできないよ。 それって、神がリアルであった時代のドラマでしょ? 遠すぎる。 Amzonの書評で「できればもっと少女の主体的な姿を見せてほしかったです。」ってのがあったけど、むしろ「正解」はそっちだと思う。 たぶん、俺らは手に手をとって走る男の子と女の子に、なにか「別のもの」を見てたんじゃないのかな? 女の子の手をとって走る男の子的なもの、男の子に手をとられて走る女の子的なもの。 そういうファンタジーを、俺らは見ていたんじゃないのかな? 俺はそう思う。
で、宮部みゆき版『ICO』のダメなとこは、すべてを「神代の時代の物語」にしてしまったことだと思う。
今の俺らには根本的に関係ない、ただ遠くて美しいかもしれない感動的なだけの物語に仕立てあげてしまったことだと思う。
なぜか知らないけど、俺がほとんど激怒しかけたのは、以下のところだ。
なんて軽いんだ。
黒い渦巻きのなかから引っ張り出したときとは場合が違う。イコの腕には彼女の体重がすべてかかっているはずなのに、薪を入れる籠ぐらいの重さと手応えしかない。少女の透けるような白い肌と、その身体を内側から満たしている光を、イコはあらためてまじまじと見つめた。
宮部みゆき『ICO 霧の城』 148頁
う〜ん、これはなんで子どもの力で少女ひとりの体重を支えられたのか、というゲーム的な都合を物語の合理で解釈するための文章、と読むのが正しいのだけれども。 俺としては、ヨルダは「薪を入れる籠ぐらいの重さと手応え」じゃなくて、ちゃんと相応の女の子ひとりぶんの重さと手応えであって欲しかったですよ。
いきなり少女を魔法生物だの妖精扱いにするのはどうよ? と思ったことです。
あ〜、みなさんどう? なっとくできまして?
ゲームと小説両方を終わらせた人へ対するいくつかの問い。
答えはメールでこっそり下さい。
藤枝とおる 『オヤユビヒメ∞(インフィニティ)』 1巻 (秋田書店,\390) [bk1][amazon]

表紙買い。
ミドルヒット。
絵がいいな。 メリハリのきいた、華のある絵。
読んでる間ずっと、絵を楽しめた。
自分は何にもない、ただの女子高生だ、って割り切りながらも
その裡に「スペシャルな野望」を抱える鹿の子さん(表紙左の眼鏡さん)がかっちょいい。
美しく華やかな容姿に生まれながらも内気なお姉さんと一緒に、理想のアイドル「摩耶」を創り上げ
東京が摩耶に恋をする
って(心の中でだけだけど)言い切ってみせるその心意気はほとんど革命家のそれ。 こういう言い方はあほで大げさで、無骨すぎるけど。 でも多分にそうだと思う。 女の子には野望の在り方があるのか〜、なんて思った。 ちょっとかっちょいいな。
で、これが「前世もの」でもあるんだけど。
それが興味深い。
それって、たぶん「『スペシャルである』っていったい何でしょう?」という問いだからだ。
なんつって。
俺はぜんぜん見当はずれなことをいってんのかもしれないよ?
こんなところで取り上げられてて、なるほどな〜、と思った。
そのラインナップはおもろいな。
林ふみの 『新世紀エヴァンゲリオン 鋼鉄のガールフレンド2nd』 (角川書店,¥420) [bk1][amazon][bk1][amazon]

なんだかなぁ、ぼんやりとしている。
裏の裏は表。 エヴァンゲリオン・アナザー・ヴァージョン。 TV版の終わりそこねたエヴァンゲリオン最終話、シンジくんたちの「ありえたかもしれない平凡な日常」をほんの1分かそこら描いたパートをして「学園エヴァ」と呼び、当時の心あるオタクどもは「ああ、これが永遠に続けばよいものを」と落涙した、というのも今は昔の話。 かくして時は流れ世紀はまたがれ、当時のオタどもの夢っぽいもの、ここに晶結。
シンジくんたちの「ありえたかもしれない平凡な日常」、ネガとポジはひっくり返り、「前提とされていた傷や不幸」が払拭された世界で、再び『新世紀エヴァンゲリオン』の物語は紡がれる。 幼なじみのアスカとシンジ、存命である父と母。 最近ようやく告白を果たしつきあいだしたヒカリとトウジ、アスカに密かな想いをよせるケンスケ、シンジの長らくの友人であるカヲルくん、転校生としてシンジと鉢合わせ、明るい笑顔を既に知る綾波レイ。 年齢相応の拙さと繊細さでもってそれぞれの友情と愛情を育む彼ら。 それでも「使徒」はネルフ本部を襲い、エヴァンゲリオンは彼らを乗せて起動する。 「碇君を守らなきゃ」、零号機でシンジを庇うレイ。 己の不甲斐なさに怒り、使徒を殲滅しながらも「生き物を殺す」ことに震えるシンジ。 その傍らで、シンジの手をそっと握るアスカ。 シンジくんたちの「ありえたかもしれない平凡な日常と戦い」。 あーこりゃこりゃ。
えーっとなんだっけ? こういうの同人誌とかで読んだ気がするよたくさん。 TV版の終わりそこねたエヴァンゲリオン最終話を前にして、当時(1995年〜96年あたりか)それぞれの「エヴァンゲリオンを終わらせる試み」(もしくは「再生する試み」)はそれはもうずいぶんとなされたはずだから。(CHOCOLATESHOPの「包帯少女」はすごかった/エラかったなぁ) そういうのを想えば、さらにこれを読まなきゃならん道理はないかもな、とはぼんやりとは思う。
(でも、ちょっと待ってね。 「時代を作った」ってぇ口調で語られがちなこのアニメだって、日本全土を席巻したわけじゃなくて、テレビでやってない地域だってあったわけで、それに出会わなかった人はなんぼでもいるわけだし、「終わりそこね」ではなくて、そもそもなにも始まってない「出会いそこね」た層だっているよな。 俺だってリアルタイムでは出会いそこねてるし。)
なんだろうなぁ、なんで今またこれがあるんだろうなぁ? という終わりそこね(もしくは「出会いそこね」)の気分を引きずりながら。
ぼんやりと読んだ。 ぼにゃり。
もしかすると、この終わりそこねのぼんやりさは、エヴァ以降のGAINAXのぼんやりさ加減と関係しているのかもな。 エヴァ以降のGAINAXは「学園エヴァ」とそれに類するものを、ずっと作り続けようとしていて、それでわけがわからなくなっているのかもしんない。 『彼氏彼女の事情』『フリクリ』『まほろまてぃっく』『アベノ橋魔法商店街』『この醜くも美しい世界』。
こういうことは忘れるので書いておく。
「暗黒城の魔術師」ほかドラゴンファンタジーシリーズ全8巻は復刊が決定している。
もちろんそんなことをやるのは創土社以外にないわけだけど。 ちゃんと買い支えること。
ヤンマーニことMADLAXは「乙女ガン=カタ」ということで俺の中で決着。 憂いを含んだ顔で腕を組む、花束を抱く、といったカタでもって敵を銃殺というなかなかの愉快アニメなので日々の踏み台アニメに組み込むことにする。 わかりやすい人生。
戸田誠二さんの第二単行本『しあわせ』のオビが不快で、買うのやめてきた、ついさっき。
曰く「感受性のないやつは買うな! 価値がわからん!!」だそうで、それがないからって人に怒鳴られるような感受性なんて別にいらねえよ、と不快に思ったので買うのやめた。
つうか、それって「どうせこいつはわかるやつにしかわからないチョロいもんしか描いてねえ」とも読めて、もしかして褒めてないんじゃないのか?
マンガを読んでなにか読み取ったり感じたりする程度のことが、なにかたいしたもののように扱われている、ひどく恥ずかしくなった。 やめてくれ。 これは恥知らずの物言いだ。
そんなもん振りかざすなよ、それは絶対にたいしたもんじゃねえんだから。
パッケージングが下手くそなのはマンガそのものの所為ではないので、けっきょく、帰りには買って帰るんとは思うんだけど。 マンガそのもののとはぜんぜん関係ないことで不快だ。 どうにかしてくれよ。 オビひっぱがせ! 燃して棄てろ!
陰湿な悪意を抱けるようになったら大人の証拠、って云ったの誰だっけ?
「おーい、みんなおりてこーい 地球はいいところだぞー」
生き死にだけは教えてほしい。いまはもうここにいないあなたによびかけることこそ哀しいから。
今日も暇だから、感動でもするか。
昨日の日記への秘密のレス。 マンガのオビ文について。
む、おじさん、さすがだな。 けど、その言葉はもっとたくさんの人を不用意に脅かすべきだ。
どうせすぐ消えちゃうんだろうから大人げなくまるごと引用。 さもなにかを語った気になろう。
推薦コメントはさて置き、困るのが「マンガ好きに」とかさもマンガばかり読んでいる人間を特別扱いするような物言いだが、そもそも「マンガ読み」って蔑称では無いのか。大変不快だ。まだ「エンピツ書き」とか「消しゴム消し」の方がまともそうだ。「ギター弾き」とか「バイク乗り」ならカッコいいが、実際に「マンガ読み」がマンガを読んでいるところを想像してみよう。まず体型は太っているか痩せているかで、ほとんどメガネをかけている。部屋は例外なくひどく散らかっている。もともと身なりは気にしないうえに部屋着なので、夏場などパンツ一丁であろう。だらしない格好で読む。マンガを読んでいるときは完全に自分の世界だ。時折声を上げて笑ったりぶつぶつ言ったり、体を動かしたりあちこち掻いたり。見れたものではない。そして友達はいないので分かったようなことをネットなどに書き散らす。いい迷惑だ。それでも「マンガ読み」はマンガを読む。なぜなら「マンガ読み」だから。三つ子の魂百までも。いくつになっても「マンガ読み」。夢も希望も将来の展望もなく、ただただマンガを読む。だって、彼が人生で学んだのは、マンガを読むことだけだったから。ああ「マンガ読み」どこへゆく。をををををれのことか。ばーばーばかにすんなちくしょう。
と、いうわけで、あるべき「マンガ読み」像を模索してみる。やはり大切なのは形だ。たかだかお茶飲みが茶道になって芸術にまで高まったように。身なりは紋付き袴。塩で身を清めてから四畳半マンガ室に入る。マンガは書店で吟味した美しい製本のものを。ネット通販は邪道とす。檜造りの書見台を使い、正座して読む。歯を見せて笑うのは一冊につき三回まで。懐中に小刀を忍ばせ、つまらなかった場合はその場で両断。火をつけ芋を焼いて喰う。そうでなければ独自の理論により整頓された書棚に収納す。また、これぞ生涯の一冊、死んでもいいと思ったら腹を切って死ぬ。素晴らしい。いろんな流派が出来ればいい。表漫家に裏漫家とか。…まんけは音が悪いな。北辰一読流とか天然理審流とか。これからのマンガ界に必要なのは千利休か近藤勇だ。
要するに、今日もヒマでした。
「素手で>1の首をはねるスレ」こと* おおっと *の発言20
19 :(○口○*)さん :04/05/26 01:38 ID:oSSaBNSe
伝統として♂♀関係なくレベルが上がるにつれて装備無しの方が防具つけるより堅くなるんだYO!
絵的に想像するとそりゃまあアレだったりナニだったりするけどさ。
もともとでないってことはないが全裸だとクリティカル発生しやすいんだよ。
20 :(○口○*)さん :04/05/26 01:43 ID:bTdw+N6Z
ああ、聖マッスルみたいなもんか。
あやつは服を着て堕落したがな。
って旦那だろ?
違うの!?
そっちのほうがびっくりだよ。
やー、世のなか広いなぁ〜
いや、狭い?
どっち方向に驚くべき?
なんでそんなものが存在してるのかは知らないけど、絵付き小説『悪魔のミカタ』のPV系MADを観る。
よくできているなぁ。 感心したですよ。
筋を読むならば『月姫』→『空の境界』→『ブギーポップ』→『悪魔のミカタ』っつう流れかな?
おそらく去年か一昨年に作られたものだと思う。


お、読み筋ビンゴ。
『ブギーポップ』のPV系MADもあった。
作ったのは同じ人かしら?


これは『悪魔のミカタ』のさらにその前、2000年か2001年の作?
10代の読者に絶大な人気を誇っていた『パンドラ』がベストとみなされているのが興味深いな。
PV系MADを作らせる想像力って、一言で言うと
「『これ』ならば自分でもなにかができる」
であるはずで、
それってたぶんDAICON FILMを作った連中がもっていたそれで、あんま新海誠方面には行かんよな。
とか、そういう話。
大岩ケンヂ 『NHKにようこそ!』1巻 (角川書店,\588) [bk1][amazon]

滝本竜彦原作のひきこもり小説を漫画化。 ひきこもり青年たちの葛藤と奮闘と混迷と暴走とを面白おかしく描いちゃうよ。 お、なかなかに好印象。 当世の若い男のど〜しょ〜もないさまが、すんげー気楽に、嫌味なく、面白おかしく楽しめるエンタメマンガになっている。 原作を読んでなくともぜんぜん面白いわ。
逆に言うと、原作にはあったかもしれないひきこもりの若い男が抱えた薄暗くてしみったれた部分(そのぶん必死だったり真摯だったかもしれない部分)は綺麗に漂白されてるんだけど、まぁそれはたいしたことじゃないんでしょう。(他人が痛いのは、3年だって我慢できる。)
心惹かれたのは、ひきこもりの佐藤くんの先輩だという美人のお姉さん。
社会人は いろいろ 大変なのさ!
と軽く流しながらもその実ぶっ壊れてて、尋常じゃない量の薬囓りながら生きてる人。 そういえばこんな人もいたっけね、忘れてた。(いや、ホントにいたのか?) 若い男が若い男としてしょ〜もないままでいるのは「ギャグ」と見なされるんだけど、若い女が若い女としてしょ〜もないままでいるのは「サイコ・ホラー」と見なされるのかもしれないね。 とか、そういう余計なことを思った。 (岬さん? 妖精でしょ? あの娘さんは。)
どうでもいいが、絵柄が『さんま』のころの目黒三吉にそっくりだな〜。
あと、一部、平野耕太。 ほろみ〜、ほにゃららら〜らららら、ほろみ〜。 なんでだろうね〜 オタの等身大なダメぶりを描いてきたのってこいつらしかおらんのかな〜?

えー、読んでて一番つらかったのは、おまけの四コママンガですね。
よりにもよって「読もう! コミックビーム」を「少年エース」に置き換えてやってます。 うひょ〜恥ずかしい! かゆくなる! なんだろなこの屈託のない薄さ……。 大岩ケンヂ若いんだろうな〜。

中山昌亮 『不安の種 フタの章』1巻 (秋田書店,¥735) [bk1][amazon]

『新耳袋』とか『あやかし通信』とか『「超」怖い本』とかそのあたりで語られていそうな、現代怪談マンガ。
勘弁してください。 いまあげた本を読んでもゾッとする瞬間はあるんですけど、それが実際に絵になっているのは怖すぎますって! 鳥肌が立つわ!
いやー怖い。 現代怪談の怖さって、素っ気無さにあると思うのですよ。 「素っ気なさ」というのは、起こる怪異に明確な理由や原因や因縁が無い、あっても知れない、という得体の知れなさ、底の知れなさをもつということ。 ちょっと昔だったら、怪談にもなんらかの説明や解説とかついたでしょう? 「妖怪」とか「祟り」だとか「狐に騙された」とか「10年前に首くくった人がいて……」とか、でも、現代怪談にはその出自がない。 あってもそれが救いや解決にはならない。 それは知られず、ただあり、ただ不思議や悪意や不吉を蒔く。 それが怖い。 現代怪談の怖さってのはその素っ気無さにある。
で、この『不安の種』。 じつに素っ気無いんですね。 人が、怖いもの、不思議なモノを目にする。 ただそれだけ。 以上、終了。 その後のフォロー、一切無い。
そこで目撃される、不思議なモノがとにかく怖い。 いかにも血が通ってなさそうで、こちらのことを慮る意志なんて全然無くて、話が通じなさそうな、冷血の異形。 それが、ただ「そういうもの」として、しれっとそこに居やがる。 例えば五十嵐大介が描いてたら絵の温かみでもって「奇妙な味わいの不思議な話」になってそうな話でも、中山昌亮が描くとぜんぜん冷たくて、底冷えのする、高純度の不吉さを帯びる。 最初、その異形を一見するときの、ゾッとする感覚。 なかなか体験したことがないですね。 さすがに二度三度読むと、絵の衝撃には慣れるんですけど、かもし出す不吉さは減衰しません。 ヤだなぁ。
まだ第1巻「フタの章」しか読んでないんですけど、これから2巻「ぼーの章」読みたいと思います。
つうかなんだよ「ぼー」って? 既にして不吉だ。
石田敦子 『純粋! デートクラブ 完全版』上下巻 (エンターブレイン,¥924)[bk1][amazon] [bk1][amazon]

石田敦子の『純粋!デートクラブ』の完全版がでたのは大変よろこばしいのだけど、う〜ん、なかなか読めない。 3日かけて上巻も読みきってないや。
読み返してみるとひどく困難な内容で、ほとんど思考実験に近い少女マンガ。
恋愛に対して、すでにある結論をだしている彼女たちに、次々に「ではこれは? ではこれは?」と多様な具体をぶつけていって、結論の強度を試しているようなマンガ。
読んでいてきつい。 というのも、彼女らの結論にたいして読者的にもいろいろ思うところ(同意であったり反論であったり、もしくはただの気分であったり)はあるのだけど、その「思うところの強度」もまた同時に試されるから。
「じゃあ、あなたはどうなの?」 これが常に問い正されるから。 容易に答える事を許さない問いは呪いとして機能する、とは誰かが言ってたっけな。 縛される。
今回読んで気づいた違和は「ヒロイン」の一人、谷崎真白について。 かつて「真城アーサー」として人気子役だった「彼」(男の子なのね)は、周囲から押し付けられる少年のイメージから自由になるために「女の子を好きになれる男の子であるために女の子の格好をしている」男の子。 ひっくりかえってる。
んで、この子の内実っちゅうのが、女の子であることを受け入れることができない女の子とまんま同じように見える。 それが気にかかる。 こいつは自分の肉体をどういうふうに認識、把握してるんだろう? それがわからない。 この子は、女の子であることの内実は把握しているけど、男の子であることの内実って把握してないんじゃないかな? マンガのなかでよく「処女」って云われてバカにされんだけど、それって正解なんじゃないのかな。 そんなことを思う。 真白くんにはまだちんこついてないきがします。 下品で失礼。
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正解!(w
表紙買いが当たると嬉しいですよねぇ。
それが他の人にもごっつり当たるとなおさらです。
やー良かった良かった。